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丹生川上神社上社 宮司 望月康麿さん

創祀1350年を前に─地域と歩む宮司の想い─
(丹生川上神社上社 宮司 望月康麿さん)

 

 静岡で生まれ育った望月宮司。子どもの頃は勉強嫌いで、外で遊んだりスポーツをするのが何より好きな少年でした。地元静岡の高校に進学。教師である父の背中を見て育ち、将来は教師になりたいと考えていました。一方で神主だった祖父の影響で「先生として働いた後に、神主の資格を取ろう」という想いも心のどこかに抱いていたといいます。

 

 ある日、祖父から「この大学なら教師と神職、両方の資格が取れる」と聞き、本格的に進路を決定、皇學館大学に入学しました。入学式で初めて訪れた伊勢神宮で、神職の凛とした所作に心を奪われ「神主として生きる」ことを決意します。人と接することが好きだった望月宮司にとって、年齢を問わず多くの人と関わることができる神職はとても魅力的でした。

 

丹生川上神社上社

 

 卒業後は静岡の浅間神社に十二年間奉職しました。当時は神前結婚式が盛んで、披露宴会場の運営まで任され、送迎バスの運転から司会まで何でもこなしたそうです。「忙しさに追われ、家族との時間もなかなか取れない日々が続いた」と当時の様子を振り返ります。

 

 そんな時、神奈川県の寒川神社から声がかかります。神職仲間が声をかけてくれたご縁でした。迷う望月宮司の背中を押したのは、父でした。「行ってこい」その一言で家族とともに神奈川へ移住。寒川神社では二十二年間奉職しました。

 

神社から見える山々

 

 母の介護を機に静岡へ戻った二年後、大学から「丹生川上神社上社の宮司が辞めることになり困っている」と連絡を受け、初めて川上村を訪れました。思えば浅間神社も寒川神社も「川」の近くにある神社だったと自身の人生を振り返り、不思議な縁を感じたといいます。

 

 着任当初、上社は村の人たちの多くが参拝に訪れたこともない状態だったといいます。背景には、ダム建設により、神社も地元と距離ができてしまったことがありました。望月宮司は、まず村の人が足を運びたくなる場をと、「天空のビアガーデン」などのイベントを企画。それを機に地元の人々の心が少しずつ戻り、参拝者も増えていきました。

 

遷座する前の神社

 

 さらに、中社・下社の宮司と連携して、丹生川上神社三社を巡る「三社巡り」を開始。過疎地域にある三社が力を合わせることで、地域とともに神社を盛り上げる新たな試みとなりました。現在では大手旅行会社のツアーにも組み込まれ、多くの参拝者が訪れるようになっています。

 

吉野の手漉き和紙を使った三社めぐりのご朱印

 

 

 そして今年(2025年)、丹生川上神社上社は創始1350年を迎えます。「節目の年をみんなで祝いたい」と語る望月宮司。その穏やかな語り口には、地域と神社、そして人々を結ぶ強い想いが込められています。

 

 

大祓式でのお焚き上げ

 

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