今に伝える後南朝の歴史ー御朝拝式ー
悲運の最後を遂げた自天王と忠義王を偲び、三之公の御所で御即位された時の『朝賀拝礼』の儀式を模し、遺品の武具等をご神体として崇める式典です。明徳三年(1392年)の南北朝合一がなされた際、交わされた「南朝と北朝は交代で皇位につく」という約束は守られず、南朝の皇子たちは吉野に逃れました。長禄元年(1457年)に北朝方の赤松家一党によって、南朝の流れを受け継ぐ自天王は襲撃され、御首と神璽を持ち去られました。惨事を耳にした川上郷士たちは赤松家一党から御首と神璽を取り返し、御首は金剛寺に手厚く葬ったと伝えられています。その雄志は代々語り継がれ、長禄三年(1459年)から毎年2月5日に、遺品の兜(重要文化財)などを拝する御朝拝式が行われています。
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金剛寺所蔵庫には、今も自天王の遺品とされる品が保管されています。国指定重要文化財は「繚絲威筋兜(はなだひろいとおどしすじかぶと)・大柚・胴丸金具」です。胴丸金具は元々使われていた胴丸が近年火事で焼けた際、残ったものです。これらは昭和25年に重要文化財に指定替え(昭和14年旧国宝指定から)となりました。
川上村の後南朝の遺蹟には、住吉神社(小倉宮実仁親王御陵墓)、御首載石・大西助五郎の碑、南帝王の森、舞場・御座蹟(まいば・ござかはら)、清谷神社・清水神社・金剛寺・自天王・御陵、軍勢岩、橘 将監(たちばなしょうげん)の墓、三之公御所跡・隠し平などが多く残っています。
住所 | 奈良県吉野郡川上村神之谷212 |
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電話番号 | 0746-52-0144 |
特記事項 | 連絡先の電話番号は「川上村教育委員会事務局」になります。 |